お疲れ様です。
久しぶりのブログお邪魔させていただきます。
立命館大学3回平野順大です。
ついに回ってきました、人生で2回目のブログ。たまに読んでいると書きたくなるのは僕だけですかね。僕がブログを書けるのも多く見積もって後2回くらいと踏んでおります。これで一度も回ってこなかったら恥ずかしいですが🫣数少ないブログ楽しんで書こうと思います!
いきなりですが同志社ブログあるあるを
久々に回ってきたブログ、何を書こうか迷う旨を冒頭に書き綴る
あんまり刺さってなさそうですが一旦ね、そのまま書き進めようと思います。
実際片手で数えれるほどの機会のブログに何を書くかは結構迷います(最近の更新のペースを見てるとこの悩みもなくなりそうですが)
僕が一回生のころ、かの先先代面白いランキング一位の渋江さんに好きなことをなんでも書いていいと言っていただいたのを胸に思ってることを書いていこうと思います。
いたって真面目に書かせてもらうのでそこんとこよろしくどうぞ😃
そこに種があったとして
その種が育ち自分が何であるかを自分自身で認識したとして
そこから何になるか決めるのは君ではなく私だと植えた人はいう
これは僕の好きな詩です。「人は周りの環境に依存する」と解釈しています。いい環境に身を置けってことだと思います。
この部活には感謝しています。人としてかなり成長させてもらえたと(まだ運営始まったばかりですが)。色々な人からいい刺激をもらえています。今まで会ったことない人種の人たち、大富豪、反社、社不、どこぞの田舎からはるばる出てきた人たち。新しい価値観を、常識を教えてくれてありがとうございます。特によく夜遅くに田辺に呼びつける先輩たちと何故かいつも行ったらそこにいる先輩には頭が上がりません。立命館大学に入学する前、この部活に入部する前に想像していた大学生活とはかけ離れた人生を歩んでおりますが、今の人生だからこそ得ることのできたものがあると信じています。(入ってなかったらなかったでちゃんと楽しんでいた自信はありますが)
類は友を呼ぶ
よくできた言葉だと思います。今までの短い人生を振り返っても僕の周りにはいつもどこか似たような奴らばかりでした。同じような趣味や考え方の奴らが自然に集まって仲間を作るって意味らしいのですが、僕は最初に出会ったやつらと過ごしていくうちに良くも悪くも似てくるのではないかと思っています。
長く接していると初めはわからなかった一面を見ることがあります。コイツ終わってるな、カスだな、性格ひん曲がってるな。大学入ってからだけでも何度思ったかわかりません。今読んでいるあなたに思ったこともあるでしょう。僕が思われる立場になることもあると思います。でもその異常はその人にとっては当たり前で、人間はその当たり前を押し付け合いながら生きているのだと思います。その当たり前は、家族や地域や環境によって形成されているものです。言わば種から直接生えてくる根や茎のようなもの。それが20年もかけて太い幹に育っている。
悪いところばかり見てしまう昨今ですが、まだ知り合ってから1.2年しか経っていないよくわかっていないやつの指摘で今更変わるものではないと思うので、
そういう人やから
とわきまえていいところを探していける人でありたいと思う毎日です。さして変わることのない幹よりもそこから派生する葉や花に注目すべきです。より多くの人と接し、いいところをばんばん見つけ、吸収しながら新しい自分を形成していこうと。
これまでの短い人生を通して、人運はかなりあると思います。いい巡り合わせをさせてもらってます。いい環境に身を置かせてもらってます。友達ガチャ的な(炎上しそう)。
もらうだけでなく、多くの人に刺激と影響を与えられる人材でありたいと願うばかりです。
最後に、この前「順大の言葉の何割が本心?」と聞かれました。心外でしたね。そんなふうに見られてますか。ゆうごさんじゃないのだから。「よく叫んでいる」も心当たりがありませんが。何割が本心かはあえて伏せておきましょう。ちなみに上に書いた詩は僕がテキトーに作ったものです。あまり気にしないでやってください🙇
大作にしようと頑張りましたがなかなか上手く書けませんね。途中変な路線に行きましたし内容もまとまっていませんし。文才はあると思っていたのですが気のせいでした。あの方(もじゃ)はよくつらつらと言葉が出てくるなぁと感心します。
投稿を止めてしまい申し訳ありませんでした。僕の感謝が伝わることを願いこの辺で終わろうと思います。
そして今日も僕は毎度のこと赤保留を外す
次は今アメリカを(色々と)わかせている防御率1.86の記録を持つ今永と肩を並べる佐波江欠席率0.84の男保木さんお願いします。いつもありがとうございます。
失礼します。
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