残りの大学生活謳歌中、同志社大学4回生山野美礼です。最後のブログということで、4年間振り返ろうと思います!
1回生
挨拶はいちいち名前言わなあかんし、ガソリン代のことガス代って言うし、
なんかこの部活変やなーと思ってました。笑
今となってはそれが普通。慣れって怖いです。配膳や練習終わりのマネさんのおにぎりが本当に懐かしい。このおにぎりをもう一度食べられずに卒業するのがちょっと心残り🥲美味しかったなあ〜
団体戦。やっぱりレディースからすると立命館の智子さんがダントツかっこよかった。いろんなことを教えてもらって、成長させてもらって、永遠の憧れです。
2回生
コロナで活動は夏からでした。インカレに行くことしか頭になくて、週5で練習いける履修組んだのに練習できひんやん!と言ってたのを今でも覚えています。笑
インカレのためなら自粛期間中嫌いなランニングも頑張れていました。その結果インカレには行けたもののサバイバルレースで本当に辛かったです。この経験があるからこそ佐波江に帰ってからのオーバーは乗れるようになりたいとモチベが上がっていたのはいいことでした!
3回生
コロナに振り回された1年でした。個人スポーツだけれどチームで活動しているボードセイリング部の難しさが顕著に現れた気がします。今となってはそれも思い出の1つですが当時は大変頭を抱えました。笑
幸せなことに出場した大会の半分以上は入賞することができました。2回生で苦しんだ分、3回生では今まで教えてくださった先輩方、支えてくれたマネージャーに恩を返すために1年を通して結果を出すことが目標でした。が、優勝できたのは1度、入賞できたものの満足のいくレースができたのもほんのわずか、やはり悔しさが多く残りました。おそらく、京都大学12-2絶対的女王大島萌さんの存在に甘えていたんだと思います。もちろん当時はあれが全力で、力の全てでした。しかし、どこかで萌さんには勝てないと思い切っていたところから、このようなリザルトにつながっているのだと思います。ただ、萌さんがいなければこのようなリザルトを取れていない気もします。すごい矛盾。まとめると、3回生はいろんなことがありすぎて目標を見失うことがあって実は辞めようかなって真剣に考えてた時期もあったり、死ぬほど悩んだ1年でした。(まとまってないとか言わんといて🥰)
4回生
ここまでくるのに長いようで短かった、いや、長すぎ。
レースに出場できるのも、後輩に教えられるのも、恩を返せるのも、何もかもが最後の1年。後輩が結果を出してくれたり、目に見えるものだけじゃなく徐々に速くなってる姿をみれることが嬉しかったです。ミーティングで何を話すとみんなのためになるかわからなさすぎて、最後の方は本当に言うことがなくて「特にないけど」ばっかりでした、ごめんね笑笑
このスポーツ、やり方はどうであれレースで勝つ人が結局は強い。それぞれ自分のやり方見つけて頑張って!!
速くなりたい、入賞したい、優勝したい。 目標を持って練習してこられたことが本当に楽しかったです。インカレ個人戦は6位で終わり、団体メンバーにもなれなくて、悔しさは当然あるけど、ここまで続けて全く後悔はしてません!!!
同じチームとしては当然と言えば当然かもしらんけど、単純に、ただ頑張ってるだけで応援してもらえるってすごいことやと思う。そんな環境に当たり前の様にいられたことが幸せで、多くの人に助けられた4年間で、
恵まれたウィンドライフでした。
4年間、続けてきてよかった。
みんな、ありがとう!
なんか長いし若干脱線してるっぽいのでこの辺で終わりますここまで読んでくれた方々どうもありがとう。笑笑
次は今鶴の早朝練のマブダチだった海人よろしく!
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