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執筆者の写真Doshisha boardsailing

二郎系ラーメン目指しました。


お疲れ様です。

同志社大学OB1年目?前35-8の在里陸です。よろしくお願いします!!!


なんか団体の最終レースより重圧のかかる感じで回って来ましたが、たまき殿ありがとう!!!すぐ書きます!

さてさて、何を書こうかと。


流石に俺様のウィンド人生と坊ちゃん引退ライフを綴ろうと思います。

少々付き合ってください。

※針生さんや岡潤さんほど熱いことは書けませんので、ご了承ください。




4年目は、本命の内定が出た1時間後に留年通知と際先の悪いスタートを切りました。

いやー、これは流石にメンタルブレイクしました。なんたって東◯◯動産の内定でしたから… あ、これはただの自慢です!




しかし、ウィンド人生が好スタートで始まった訳ではないので、それに比べれば大したことはなかったような気がします。



私のウィンド人生は、コロナの影響で10月入部でした。

フィンを引きずりながらの入水。その頃、小さな巨人は、手乗りを超えリーパンもどきを漕いでいたのを微かに覚えています。

※彼はのちに3回生でNTになる男です。


そして、冬が始まり、気づけば数人はラウンディングに混じったり、出禁があったりと実力の差が明らかになりました。

これを御三家事件とでも呼びましょう。


もちろん私は浜一択。マミとマリナが浜に打ち付けられてたのも印象的です。



3月のギリギリのギリギリで、プレーニングが出来るようになった私ですが、この辺りから少しずつ同期と仲良く?なった記憶があります。


新歓では、斎藤雄悟という怪物と安部光人という小怪物に出会いました。1%の人々です。


言い忘れましたが、ここまでの私は自主練に行かないのは勿論、速くなる気など1ミリもありませんでした。だって、大学生になって、コロナで授業もないのに遊ばない人居ます??? 




そして、運命の日です。




初めての大会、琵琶湖マリン。全く前を走れない上に、何をしていいかも分からず終わりました。

いやー、悔しかったですね。何もできないってこーゆー事なんや、と思い知らされ気づいたら、次の日自主練に行ってました。

この自主練の後、4回生まで続けると決意した事が運命を変えてくれました。



ここからは怒涛の自主練です。怒涛と言っても、まー週3は行ってるよ絶対。ぐらいのテンションです。藤原さんは週5行ってました。マジリスペクト。

後、質問もめっちゃするようになりました。颯さんに嫌がられながら、今日もあるの?と言われた事は忘れません。

まー性格が性格なので、気にせず聞き続けました。



なんか長くなってきたので、はしょります。



そして、2回生のインカレ予選…






は出場せず部内セレでした。

矢次さんやそんふぁさんには絶対勝てないだろうと思っていたら、同期のこーたろが倒し、出場を決めたのはカッコ良すぎました。海もしっかり決めて、予選ではりゅーいちろも通過しました。



基本的に、結果に繋がることは少なかったですが、微風は割と成長することが出来た1年でした。




3年生の初陣は、関戦一戦。

(この前にイタリア遠征に行きました。スペイン人の選手が可愛かったです、まじで。)


直前の練習で齋藤のリーパンが遅すぎると話題になったのは記憶に新しいです。しかし、心配ご無用の団体優勝。藤原、齋藤がワンツー、喜多が6位入賞し、私はというと?


7位でした。こーたろも居ない中で、かなり強い同志社を見せることが出来ました。あ、ここで初めて上ピンを取りました!

しかも、吹いてましたよね!?みなさん笑



と、ここからが入賞出来ない伝説の始まりだったのかもしれません。



予選では、肩が脱臼の影響で痛みのある中での参加でしたが、同志社を優勝に導けなかったのは本当に悔しかったです。今でも1番悔しいと思った大会かもしれません。


いやーけど、結構怪我に悩まされた記憶があります。普通に痛かったです。悔しいとかより痛かったです。



そして!インカレ!



普通に楽しかったですね。レースも延泊も。最高でした。しかし、リザルトは光人に前後で負け、同期の海にも大きく離されていました。


正直いうと



え?来年入賞無理やね……まじでやばい。



これが本音でした。自分の無力さはもちろん、ここから真剣に引退する姿がどうありたいか、を意識し始めました。



三戦は、んーーなんか走れませんでしたね。割となんで走れなかったのが分からなかったです。

ここでも団体優勝を決めてくれました。齋藤、藤原がワンツーで、なんと池木が4位入賞を果たしました。この時のこーたろには流石にビビりました。

今やから言うけど、ホンマになんで辞めた? まーいいでしょう。




いよいよ、年の締めくくり!団体戦



ぶっちゃけ今考えたら、荷が軽かったというか仁成さん、海、雄悟、拓哉におんぶに抱っこでした。微風のことしか頭になかったです。

ただ、この時の私はめっちゃ速かったです。ボードとセールが言うことをよく聞いてくれました。



しかし、結果は4位。


仁成さんには申し訳なかったですが、何も出来なかったのが事実です。

あと、いつかの夜にせいごと電話してたら、クッソ怒られたのを覚えています。

ごめんネ💚




そして、やっと本題の4回生



はっきり言って悔しい1年間でした。

入賞できるなーって大会は何度もありました。しかししませんでした。なんでだったんでしょう。それを振り返りましょうか。



思ったけど、長くね?って思い、信義に相談したところ、いや10分ぐらいいってもえんじゃね?と事だったのでとりあえず全部書きましょうか。


正直長いですが、ここからが本番です。



先ほど述べた通り、4回生のスタートは決して順風満帆なものではなかったです。

しかし、OGのメグさんに出会ったのはウィンド人生において大きなターニングポイントでした。

それは出会ったことのないセッティングでした。



中々面白かったですよ、また道具と仲良くなれた気がしました。しかし、同時に新しい感覚に戸惑ったのも事実でした。



ピョンピョンと返りの早いリーチ、通常より前に重いセール、重心が上がったセール。


これにより、リーパン、ストパンの向上は明らかに見られました。低風域のハーネスストップでのヒール感覚もものすごく良くなりました!!

しかし、マスパンの艇速、カイトしてしまう癖はいい方向には行ってませんでした。

ちなみに、この時はまだ気づいていませんでした。



あと、マリンが終わったあたりからでしょうか?佐波江の南東や南西、他の大会でも海面が見える?というか、コースがちゃんと引けるようになりました。

やっっっっと、身を結んだ感じがして嬉しかったです。雄悟と海に聴き続けた甲斐があったなーって思いました。

みんなも聞きましょう。👂



夏に行われた、和歌山のサマレガでは雄悟と海が、ワンツー。私も7位と良い成績を残し、団体優勝が見えるような形まで来ているな、と思いました。

しかし、入賞はしていません。


次は!次は!と気持ちが前に出るばかりでした。



あとこの辺からさくとが微風めっちゃ速くなって、こいつやべーやんってなってました。 晴はチンプンカンプンでした笑



今考えたら、入賞に固執しすぎてどこか余裕がなかったのかな、と客観的に見て思います。マリンもそうですが、プリンスでもブラックを付けてたのがそうですね。


嬉しかったことで言えば、中風域でも大会でシングルを走る事が出来たことです!



予選は、高橋が爆走の2位。流石にあれは羨ましかったです。悔しい超えて羨ましいです。 私は12位。本戦までに不安を取り除くことは出来ず、本戦に臨みました。


(全日本は、おわらいでした。)



そして!インカレ!

目標は、入賞で挑みました。

結果は……





12位

惜しくもなかったです。反省はすればキリが有りませんが、これで個人戦が終わるのかーって思うと寂しかったです。


中風でも、最低限は結果を出す事ができたので、まーいいでしょう。


ただ、雄悟と海を見た時、




あーー、一緒に前に出たかったな。



とやり切れない気持ちでしたね。

もっと何か出来たんじゃないか、特に1日目なんか事前でやった風だったので分析を怠ったつもりはなかったですが、100%は出来てませんでした。



ここから和歌山期間に入るまでが、私は1番の地獄でした。


原因不明の腰痛です。ハーネスストップしても痛いし、リーパン漕いでも痛いし。

不安マックスでした。



みんなが、よっしゃここからや!


の中、1人痛みとの戦い。ただインカレの反省があった通り出来ることは100%やるつもりでした。


潮もそうですが、定期的に予報見たり、過去のトラックトラックもめっちゃ見ました。何度も夢でもシミュレーションしてました。地形のこともまあまあ考えてましたね。



私は単位弱者なので、遅れての和歌山入り。


1レース目大ズボり、からの永遠のズボリ。

流石に笑えませんでした。

見えてる感覚と実際が違いすぎました。どこで我慢して、ゲインを取ってが狂いまくってました。


唯一の心の支えは、八の字が明らかに速くなっていた事です。これなかったら、崩壊してたかもしれません。



ただ、共同生活で新しい刺激をもらったり、面白い話をしたり、食卓をみんなで囲ったり、本当に有意義な時間だったなー、と人生の中でも貴重と言える体験が出来ました。シアワセモノでした!!!



あ、けど、あれですよ、なんか知らないですけど、寝る場所は去年同様少し外れ気味を引くのが私でした。


睡眠1番こだわっているのに…はぁ…



そんな感じで少しずつ調子を戻していった1ヶ月。



いよいよ、団体戦本番。



ここでは、詳細に語りませんが、超楽しかったです。全て。


けどまー、団体優勝できなかったのは、悔しいですし、申し訳なかったです。



なんか不思議な感覚でしたけど、生まれて初めて




あーーこの時間が巻き戻せたらな、

巻き戻せなくてもいいから永遠に続かないかな、




なんてクサイ心境になってました。

私たち同志社は準優勝、立命館も入賞できる事ができ、とりあえず同立の歴史を次に繋げる事ができたのかな?って感じです。



この後のことは、あまり覚えてないです。

気づいたら、ウィンドサーフィンをやめた就活生になってました。



ただ、やめてから気づいたのは、本当に後悔がないと気づけました!!


結果だけで言えば、満足したものではないですが、本当に恵まれた環境でした。仲間は勿論、カントリーでウィンド出来たこともです。



本当に青春は蜜?密?でした。



今はもう冷たい佐波江には行きたくないので、ホッティーな佐波江になる頃にマスパンでも漕いで、ピン取って帰ろうかなって思ってます。(ビックマウス)



なんかただの日記になってしまいました。申し訳ございません。



一応爪痕として、大切に思ったことを3つ紹介して終わります。



①恥じるな、聞け!


 絶対苦手なことはみんなあります。今更だから…じゃなくて、今更だから!って考えればなんか聞ける気がしません?

とりあえずわからない事があれば、後輩でも同期でも聞きなさい。聞けば絶対プラスになります。




②楽しもう、ウィンドサーフィン🏄‍♀️


 これは3つの中で唯一自分が出来なかった事です。私は、プレーニングの面白さがわからず終わった悲しい人間です。

戦略や戦術を考えたり、漕いで艇速を極める事は好きだったのですが……

まーだから、オーバーは乗れないまま終わりました!!!

だからみんな、ぜひスポーツだからって考えるのではなく、たまには娯楽として楽しんでみてください。

あと、遠征に行って色んなゲレンデで乗るのも結構楽しいですよ!景色とか傾向とか。あと、ご飯も!




③ノートは書け。


 これは1番伝えたい?伝えようとしてた事です。多分現役の中でもノートを書いた量はベスト3には入ると思ってます。

LINEの自主練LINEのノートも、自分のアナログのノートも。

不調のときや、大会の時とかにすっげー役立ちます。書いてください。

海面だけじゃなくて、セッティングの些細な情報や体重管理、食べたものと考えた事など書くことなんてたくさん有ります!!




なーんて先輩づらしましたが、少しでも誰かの役に立てたらいいなと思って書きました。



岡潤さんの自分語り で言っていたように私のウィンド人生もここで終わったわけではなく、自分が関わった後輩たちが活躍してくれる、優勝してくれるまでが私のウィンド人生だと思っています。


私レベルのプレイヤーになるのは、簡単なのでとりあえず佐波江に行ってください!

4回生続けたら分かります。あ、陸さん意外と遅い…って笑笑




あと、余談ではありますが、今年はM山コーチをプリンスで倒そうかなと密かに計画してます。応援よろしくお願いします📣



なんか何日もかかって書いた割には訳のわからん日記になってしまいましたが、これにて在里のblogを終わります!!


ありがとうございました!


さよならウィンド!さよなら佐波江!



p.s.信義さんこれ、大丈夫ですかね。

中々に二郎系ラーメンになりました。


では、次は!!!!

どーせ書きたがってるんでしょ?

せいご。




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