お疲れ様です。
立命館大学理工学部2回生の松井晴です。
僕のことを知らない人のために書くと僕は99%じゃない方の人です。
けどコースレースはやっていなくてウェイブのユースです。
他の人達が一年の振り返りとか書いていて、内容被りそうなので、僕にとってのウインドサーフィンについて書こうかなって思います。
入部したての時に「なんでウインド始めたの?」とか
「なぜ高校でウインドあまりやらなかったの?」など
聞かれることが多かったので書いてみようかなと思います。
僕とウインドサーフィンの関係性を振り返ってみようと思います。
興味ない方は最後だけ読んでくれたら嬉しいです。
僕がウインドサーフィンと出会ったのは小1の夏です。
小学校でウインドサーフィン体験教室のビラが配られていて、
友達と応募したのが始まりですね。
OWC(御前崎ウインドサーフィンクラブ)という
元JWA WAVE とFREE STYLE チャンピオンの方が作られたジュニアを育成する
ウインドサーフィンのクラブの体験会に行きました。
両親はウインドには全く関係がなく、自分が興味を持ったから行ってみたっていう
感じです。
今でも何故サッカーや野球などの人気スポーツをやらなかったのかなーって思います。
とりあえず僕とウインドの出会いはビラ1枚から始まりました。
小1から小3までは冬以外で月に2回ぐらいのペースでやっていました。
三角艇が懐かしいです笑 部活というよりかはレジャー感覚でやってました。
小4からはクラブの上のクラスに入って週3で練習していました。
この夏にプレーニング初めてしました。
クラブのみんなで大喜びしたのは今でも覚えています笑
この瞬間にウインドサーフィンにドハマりしました。
小5ではウェイブデビューしました。
クラブの先生に冬の爆風御前崎に放り出されました。
最初は波を超えることができなくて、ずっと波に捲かれて毎回500mぐらい道具と一緒に流されて泳いで、また道具引きずって歩いて、出艇して流されるような地獄のループを永遠にしていた気がします。
毎回めっちゃ怖かったし、最悪でした。
たまにクラブの先生を恨んでいました笑
けど先生は僕をこのウインドサーフィンの世界に引きずり込んでくれた方でずっとこの人に憧れていました。
僕たちが必死に泳いでる間に高い後ろ回りとか目の前でしてくれて、
とてもかっこよくて憧れてました。
小6ではがっつりウェイブにはまっていました。
この頃ぐらいから風が吹いたら、または波があったらずっと海にいた気がします。
友達も風が吹いたら僕がウインドに行きたいのは理解してくれていたので遊んでいる途中とかでも海に走っていっていました笑
この時からの癖でウインドができる時間があるとき、練習していないと罪悪感が出る時が
あるんです。
だから僕は練習のメーリスを回すときは基本的に無意識なことが多いです。
中1では初めて前回りができるようになったことが1番記憶に残っています。
学連の人だったらわかると思うんですけど、野口さんに海上でずっと前回りを成功するまでストーカーされていたので出来るようになりました笑
前回り(フォワード)は初めてトライする時はすごく怖かったので強制的に
練習させてくれた野口さんのおかげですね。
中2ではメキシコのBaja Californiaに1か月遠征行きました。
このポイントは周りがガチの砂漠だったのでセスナ(小型飛行機)で行きました。
コンクリの滑走路とかもなくてかなりやばいとこでした。
Wi-Fiも勿論ないので1か月ネット無しで砂漠のキャンプ生活していました。
けどその分コンディションは最高で毎日ウインドだけしていました。
デカい波に捲かれて足折ったりしたけど中々刺激的な最高な遠征だったことは
覚えています。
中3ではスペインのグランカナリア島とテネリフェ島に3か月武者修行に行きました。
この場所は僕にとってはとても憧れだった場所なのでとても覚えています。
ウェイブの選手全員がこの場所で勝つことが夢だと思う場所です。
毎日20メーター超えの風が吹く場所で本当に修行でした。
テクノで出艇したら一撃でセール飛んでくと思います笑
ここでの試合がだいぶ人生に影響したなーって思う試合でした。
この試合までは世界1位になるのが夢でした。
若き少年の夢に過ぎないですが結構ガチで思っていました笑
U-17のクラスでエントリーしてそのクラスでは互角に戦えたのですが、
メンズ(大人)のクラスの世界レベルの試合を見たら、
レベルが別次元すぎて心が折れたのは鮮明に覚えています。
今は戦えても年齢が上がって大人のクラスでは戦えないと思っちゃいました。
日本と世界のレベル差があまりにも違うっていうのを実際に自分の目で
確認できたことはとても自分にとって良かったと思います。
このウインドサーフィンの業界はとても狭く、この競技だけでご飯を食べていけるのは
一握りの選手だけです。
それを目指すために通信制の高校に通いながらバイトしてお金貯めて海外に
チャレンジしようと以前は思うこともありましたが、この後先の保証のない選択をする勇気は完全になくなってしまったので地元の高校に通うことにしました。
この選択をせずにウインドに賭けて現在も世界で戦っている石井ハヤタとかはほんとに尊敬しています。
高校では腰の骨を二か所折ったりして、運動ができない期間が長かったというのもありますが、ケガしてなくてもウインドは高校ではやっていなかった気がします。
最初はウインドが好きだから練習していましたが途中から勝つという目標のために
ウインドしていました。
全日制の高校に通いながら日本にいてもウェイブは勝てないのでもうやる気を
なくしていました。
痛いやつみたいに思われそうですが現地の風と波はあまりにも違うので事実です。
なのでウインドとは離れて陸上やっていました。
陸上ほんとに楽しかったです!!
けど心の底ではウインドが好きだったのでもう一回ウインドやってみようと思い進路選択でウインドができる大学を探しました。
調べていたら大学でテクノという競技ができることを知り、
学連に所属している大学の中から受験しました。
立命館の他に関西学院とか受かったのでそっちもアリかなって思いましたが、
立命館にサクトと光人さん、ゆうまさんがいることを知っていたので立命館に
入学しました。
ぶっちゃけ最初、テクノは良いイメージがなかったです笑
昔に津久井浜でテクノに突っ込まれたっていうこととスピード遅いし迫力ないし漕いで
ばっかりで何が楽しいのかなって思っていたからです。
けど実際にこの競技をやってみたらすごく楽しいです。
競技的にはコースレースで色々な戦略とかあって奥が深いからということです。
けど一番はウインドをやっている人がたくさん部活にいるということです。
今までずっと僕は一人か数人で練習していたので大勢でウインドすることが幸せです。
初めての正規連とかしんどかったですけどそれ以上に大勢でウインドしたことがとても
嬉しくて、これからの大学生活で色んな人とウインドするんだ!っていうわくわく感が
凄かったです。
先輩方、同期、一回生みんなウインドしてくれていて本当にありがとうございます。この部活に入れて本当に良かったです。
僕とウインドサーフィンの関係はだいたいこんな感じです。
ウインドサーフィンが僕の人生を豊かにしてくれていると思います。
ウインドしてなかったらこんな経験絶対しないだろうし、色々な場所にも行かなかったと
思います。
また日本中、世界中のウインドサーファーとの人脈もできました。
大学卒業してもウインドはすると思います。
マイナー競技だからこそ今までと違う経験が必ずできるし、
これからのウインドライフは楽しいと思うので今年入部してくれた子は是非ウインド続けてほしいです!!!!
今ウインド(テクノ)熱中しているのでみんな一緒に楽しみながら本気で
ウインドしましょ!
何事も本気で取り組むことが楽しい気がするので学連にいる間は全力でやってみようと
思います。
あと12月に御前崎でウェイブセッションされたい方は連絡お願いします♡
次は去年僕にモチベーションを与え続けてくれる存在であった先輩の一人である
はるとさんお願いします。
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